つぶやき on 奇跡 & 情熱

支離滅裂です!注意!

そういう風にみられない事が多いのですが、僕はこうみえても、コンサバです。努力家で、完璧主義で、ものすごく慎重で、表面的なもの(や人)を結構嫌います。運に頼るのも嫌いだったりするのです。さらに、『逃げ道つくっとく』みたいな合理的な考え方も嫌いです。僕の役者のレジメを観ても、ここまでくると『こつこつ努力型』みたいな感じがもろに現れています。現れてほしくはないのですが。。今、ハリウッドにこうしているのも、『スターになってやる!!』という勢いではなく、『もう他のところで出来る事はやり尽くした』みたいな感じの方が多い様な気がします。そして、もちろん、『名声』を求める、というよりも、自分の『わくわく・どきどき』みたいな演劇に対する『情熱』と、『役者という職業としての成功』が重なりあう奇跡的な瞬間を求めている、という方が感覚的に正しいのです。つまり、今の状況を観ている限り、その、自分の『わくわく・どきどき』みたいな演劇に対する『情熱』と、『役者という職業としての成功』が、全く異次元に存在している様な気がしてしまっているのです。

でも、今思ったが、アーティストってみんなそうゆうものではないだろうか。ピアニストが、『ピアノが好き』でピアノを弾いていて、ある程度の年になって、職業選択をしなければならない。ピアニストになる、というチョイスを考え始めたそのときに、『ただ好きでピアノを弾いている』の素晴らしい感覚だけを保ちながら、生計を立てていけるくらいの『ピアニスト』へのレールを順調に上っていく、みたいなひとは、あまりいないのではないだろうか。ピアノを弾くのがピアニストであるはずなのに、時に自分の振る舞いに気をつけないと先が見えなくなったり、自分に自信がないせいでチャンスを失う事があったり。『役者』をやってて、さらにこの『ハリウッド』に来て、そんな風に感じる事がよくあるのです。なんで『演技が好きで』役者であるのに、マーケティングをしなきゃいけないのか、なんで人に好かれなきゃいけないのか、なんで笑顔でいなきゃいけないのか、なんで頑張って人に出会わなきゃいけないのか。なんでオーディションにいかなきゃいけないのか、そういう、『役者』になる上での『プラスα』に押しつぶされて、ふと気がつくとそもそもの『演技する事への情熱』がどこかにいっていしまっているような、恐ろしい感覚に陥る様な事があるのです。だからこそ、僕は今まで一生懸命『居場所』または『メンター』を探していた様な気がする。僕は、『演技をする楽しみ』を保ちながらスターへのレールを上れる方法を見付けられると信じているのです。

自分の『わくわく・どきどき』みたいな演劇に対する『情熱』と、『役者という職業としての成功』が重なりあう奇跡的な瞬間。

コマーシャルのオーディションにいく度にこの奇跡的な瞬間から遠ざかっていってるような気さえしたりします。

なんてネガティブな!とお思いになるかもしれませんが、本当の事なのです。

”職業としての役者”を全うする為にやらなきゃいけない事は分かっているのです。ハリウッドで役者として成功するには、最低月に一回キャスティングディレクターワークショップに参加して、顔を覚えてもらい、常にシーンスタディ、コールドリーディング、インプロビゼーションのクラスでスキルを磨き、人にフレンドリーに対応し、オーディションにいってれば、5年くらいでどう転んでも生計はたてられるのです。ただ、そこに『情熱』が伴わないと、できないのです。『情熱』がないのに、やれというのですか?ということなのです。

さてと、今日のポイントは、何と、こんな頑固でコンサバな自分を褒めてあげたい、ということです。

いままでのクラス探し、自分探し、自分の居場所さがし。情熱をつなげる方法探し。ちゃんと、しっくりこないものは、すっぱり止めてて、偉いね。希望を捨ててないねってことなのです。

自分がこだわってきた、自分の『わくわく・どきどき』みたいな演劇に対する『情熱』と、『役者という職業としての成功』が重なる瞬間が、奇跡的に感じれば感じられるほど、その奇跡は起こるべきものなのです。

というのも、奇跡は、やっぱり奇跡的にしか、おこりません。

奇跡が起こる余裕が出来る様に、僕の場合「未開拓な新しい場所に身を投じる」ことに慣れるのが大切だということです。

そして、見えない大きな何かを信じる力を養うのが大切だということです。

ジョブズの言うとおり、のちにドット(点と点)がつながると信じて、勇気を出して自分の直感にそって生きるのが大切であるのです。

 

繰り返すが、僕に大切なのは、「未開拓な新しい場所に身を投じる」こと。

と、昔、勉強もスポーツもよくできるS君というクラスメイトがいて、塾の先生は、僕の母にこう言ったのを、最近思い出します。

「ときおくんは、スタートが遅いのよね。S君がもう走り出してるときに、ときお君はまだスタート地点で靴のひもを締めてる。」

そして、さらには、小学校の通知表に、僕の”これ”について2人の先生が違う風に書いていたのを思い出す。

図工の先生:考え過ぎ

国語の先生:のろい

 

つまり、考えすぎるのでのろいのだ。むかしっから変わってないのだ(ってそういう星回りにいるので仕方がないが)!

100パーセントじゃなくてもいい。不安でもいい。

ただ飛び込む。

また飛び込む。

で、飛び込む。

飛び込む!

これが奇跡が近づく鍵なのだ。

週に何回飛び込めるか、自分にチャレンジだ!

 

というわけで、ニューヨークにいても、ロサンゼルスにいても、「モトキ君って知ってる?」と聞かれる、ニューヨークからロスに渡り、日本に帰ってしまわれた小林モトキさんというお方のブログをよんで、元気をもらった今宵なのでした。

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