2種類のキャリア・コンサルテーション

jordan matter photography
jordan matter photography

12/3にジェンのキャリア・コンサルテーションがあるので、なんかそれを受けるまで他のキャスティングディレクターのクラス等受ける気にどうもなれない。というのも、そのセッションで、どんなクラスをとったらいいか、から、レジメ、リール、ヘッドショット、会うべきエージェント、用意しておくべきシーンのスクリプト、そして自分が売り出すべき“タイプ”、まで全部アドヴァイスをくれるというから、変に動く前にそれを待ちたい気分でいっぱいなのだ。新しいヘッドショット撮りなさい、って言われるかもしれん、、で、彼女がいつもアクターに薦るカメラマンは、ニューヨークアーティストの中でも名高いジョーダン・マター・フォトグラフィー。で、なんと、ヘッドショット料金が約1000ドル!ま、たしかに、素晴らしい写真たち。。今すぐ予約しなさい、なんていわれたら、いったいその金はどっからやってくるのだろうか。。楽しみだ。笑

とにかく、プロの役者でいるっちゅうのは出費が凄い。まあ、現実、それに気がついていない=キャリアの為にインヴェストしない=何も活動してない →のに自分が『役者』であるという 人が多いのだが。これは判断ではなく事実である。

出費が多い割には、直前に告知されるオーディションを受けられるように、時間に融通のきくパートタイムジョブにしかつけない。さらに、実際、役者仕事だけで生計をたてている役者は、役者全体の5%と言われる(セレブも含む!)。テレビとかで仕事をゲットしたとしても主役やスターでない限りギャラはそんなに高くないのだ。そんなんだから、役者である、っちゅうのは、まったくインポッシブルに近い。そんなジレンマを抱えながら、それでも演技をし続けていく役者たちを応援する、ソーシャル・サービス。そんなのがあるのかって?あるのです。それは、アクターズ・ファンド

もちろんロスを含め、全米で活動しているこの機構について、役者友達トニーが教えてくれるまで知らなかったのは、悲しい事実である。

ノン・プロフィットの機構で、仕事やお金に困っている、あるいはストレスや鬱で苦しむ、(アクターに限らず)エンターテイメント業界全てのプロフェッショナル向けに、無料でセミナーや、技術を身につける為のクラス、キャリアカウンセリングなどを行っている。もちろんゴールは”自分にあった”パートタイム仕事ゲット。

で、昨日、タイムズスクエアど真ん中にあるオフィスに、この機構のプログラムに参加する為にとらなければいけない”オリエンテーション”に始めて参加してきた。オフィスにいる方達は、(たぶん『ソーシャル・ワーカー』が大体そうである様に)本当に自分の仕事が好きで、情熱をもってやっているような方が多く、頼もしいイメージを持った。

もちろんこの機構のメンバーになるには、自分がエンターテイメント業界の『プロフェッショナル』である事を証明しなければいけない。大体の人は、業界の『ユニオン(組合)』に属しているという証拠になる、ユニオンカードを提示するだけで、メンバーになれるのだが、僕は、舞台の役者のユニオン「エクィティ」にも属していないし、エリジブルではあるが(参加する権利を与えられているが)、映像のユニオン「サグアフトラ」にもまだ属していないので、カードもないため、クラスやコンサルテーションに参加する前に、『プロの業界人』である証拠である書類(今まで給料を払われた証拠など)を用意して持っていかなければいけない。まあ、当たり前だ。

ただ、別にオーディションでもクラスでもないのに、緊張した。

(その例として、)

オーガナイザー:「君たちのなかでユニオンに属してない人いますか?」

自分:挙手。(オリエンテーションには20人ほどいたのだが、その中の3人のみ)

オーガナイザー:「君たちのなかでアメリカ意外の国で生まれた人いますか?」

自分:挙手。(2人のみ)

といった具合である。こんな場で目立つのはちょっと嫌な私でした。笑

というわけで、今日、その書類を用意して、早速明日のジョブ・サーチセミナーに参加しまーす!

いい出会い、に感謝。

jordan matter さんの、プレイフルなダンサーの写真 笑
おまけに、jordan matter さんの、『ダンサーの日常』アルバムから 笑

ハリウッドに軸から迫る!

へっへっへ

なぜ、私が昨夜ハッピーだったか。と、あなたは聞くかもしれない。

それは、今クラスをとっているマージーヘイバースタジオの先生コートニーから、信じられないくらい素晴らしいプレゼントを頂いたからです!

ジャーン!

Image

これはなにか、というと、本です。今は亡きサルミネオというハリウッド俳優のバイオグラフィーです。

なぜこれが素晴らしいか、というと、もともと、

この先生コートニーの授業を撮ろうと決めた理由として、もちろん、オリエンテーションで出会ったときの彼の人柄や、この学校で教えているマージーヘイバーさんが確立したテクニックなるものに興味を持った、というのもあるのだが、インターネットで見つけたコートニーさんののインタビューがきっかけで、彼がニューヨーク出身の舞台俳優だったこと、そして伝説的俳優サル・ミネオの長年の愛人だったことを始め、このコートニーさんの経歴に魅了され、“彼”という人間に興味をもった、というのが大きな理由だったのである。というのも、そもそも、僕は、教わる先生自体になにか惹かれるもの、尊敬できるものがない限り、安心して學べる体制に入れない。

コートニー(左)とサル・ミネオ

で、先週の木曜のクラスの終わりに、コートニーに、ある意味勇気をだして、

「先生が、インタビューされてた記事をこのクラスが始める前に読みまして、凄く感銘を受けました!」

と伝えると、嬉しそうに、そして少し驚いた感じで、「ああ、、そうなの?グレイト!え、どのインタビュー?」と聞かれ、

「インターネットで見つけたやつで、なんかサルミネオの新しい伝記本を先生の友達が出版するとかで、それにあたってのインタビューだったと思うんですけど。たしか、Boy Cultureという名のウェブサイトです。」

「ああ、そうそう、Boy Cultureね。あれはほんとにいいインタビューだった。そのとき出版されたサルミネオの伝記は本当に良い本だよ。」

「ええ、是非、読みたいです。っていうか、今度必ず読みます!」

と答えると、なんと、

「よかったら一冊コピーあげるよ。」と。

「え、、、マジですか?そんなに沢山コピーあるんですか?」と、謙虚さから日本人ぽい返答をすると、

「君にあげられるくらいの数は、あるよ。」と、なんとジェントルマンな答え!

で、昨日のクラスの最初に、さっそく、「トキオ、ちょっと。」と事務室(?)によばれたとおもうと、この、本当に立派な本(400ページ以上!買うと26ドル!)を差し出し、最初の方のページを指し、「これ、筆者からのサインと、僕のサイン。」!!!!!

なにを隠そう、ジェームズディーンと共演しアカデミー賞候補になり、ミステリアスな死を遂げたサルミネオの伝記は、この以前も発行されていたが、実質、今回、始めて、サルミネオのことをもっともよく知る2人の愛人、コートニーと、ジル・ハワースの協力(いままで口の重かったコートニーが彼の伝記作成に協力したのは今回が初!)によってこの素晴らしくも正しい(と言われる)伝記が完成したのである。よって、もちろん、この本は、この2人に捧げられているーーーー

というわけで、夜になっていきなり空気がバラ色に変わった1日でした。

ことあるごとに思い出す、ハリウッドの実態を描いた『Indecent Exposure』、最近よんだ、プロデューサーマックス桐島さんのエックセレントな本『ハリウッドで成功する方法』といい、この本といい、最近は軸からハリウッドに迫る私です。

では!今日は我慢して、明日より、ドキドキしながら、読ませていただきます。

ありがとう、コートニー!一生大切にします。

*もちろん、この彼のクラスについても、今度是非記しておきたい。もうすでに、4週間のうちの3週間が過ぎ去ってしまった・・

つぶやき on 奇跡 & 情熱

支離滅裂です!注意!

そういう風にみられない事が多いのですが、僕はこうみえても、コンサバです。努力家で、完璧主義で、ものすごく慎重で、表面的なもの(や人)を結構嫌います。運に頼るのも嫌いだったりするのです。さらに、『逃げ道つくっとく』みたいな合理的な考え方も嫌いです。僕の役者のレジメを観ても、ここまでくると『こつこつ努力型』みたいな感じがもろに現れています。現れてほしくはないのですが。。今、ハリウッドにこうしているのも、『スターになってやる!!』という勢いではなく、『もう他のところで出来る事はやり尽くした』みたいな感じの方が多い様な気がします。そして、もちろん、『名声』を求める、というよりも、自分の『わくわく・どきどき』みたいな演劇に対する『情熱』と、『役者という職業としての成功』が重なりあう奇跡的な瞬間を求めている、という方が感覚的に正しいのです。つまり、今の状況を観ている限り、その、自分の『わくわく・どきどき』みたいな演劇に対する『情熱』と、『役者という職業としての成功』が、全く異次元に存在している様な気がしてしまっているのです。

でも、今思ったが、アーティストってみんなそうゆうものではないだろうか。ピアニストが、『ピアノが好き』でピアノを弾いていて、ある程度の年になって、職業選択をしなければならない。ピアニストになる、というチョイスを考え始めたそのときに、『ただ好きでピアノを弾いている』の素晴らしい感覚だけを保ちながら、生計を立てていけるくらいの『ピアニスト』へのレールを順調に上っていく、みたいなひとは、あまりいないのではないだろうか。ピアノを弾くのがピアニストであるはずなのに、時に自分の振る舞いに気をつけないと先が見えなくなったり、自分に自信がないせいでチャンスを失う事があったり。『役者』をやってて、さらにこの『ハリウッド』に来て、そんな風に感じる事がよくあるのです。なんで『演技が好きで』役者であるのに、マーケティングをしなきゃいけないのか、なんで人に好かれなきゃいけないのか、なんで笑顔でいなきゃいけないのか、なんで頑張って人に出会わなきゃいけないのか。なんでオーディションにいかなきゃいけないのか、そういう、『役者』になる上での『プラスα』に押しつぶされて、ふと気がつくとそもそもの『演技する事への情熱』がどこかにいっていしまっているような、恐ろしい感覚に陥る様な事があるのです。だからこそ、僕は今まで一生懸命『居場所』または『メンター』を探していた様な気がする。僕は、『演技をする楽しみ』を保ちながらスターへのレールを上れる方法を見付けられると信じているのです。

自分の『わくわく・どきどき』みたいな演劇に対する『情熱』と、『役者という職業としての成功』が重なりあう奇跡的な瞬間。

コマーシャルのオーディションにいく度にこの奇跡的な瞬間から遠ざかっていってるような気さえしたりします。

なんてネガティブな!とお思いになるかもしれませんが、本当の事なのです。

”職業としての役者”を全うする為にやらなきゃいけない事は分かっているのです。ハリウッドで役者として成功するには、最低月に一回キャスティングディレクターワークショップに参加して、顔を覚えてもらい、常にシーンスタディ、コールドリーディング、インプロビゼーションのクラスでスキルを磨き、人にフレンドリーに対応し、オーディションにいってれば、5年くらいでどう転んでも生計はたてられるのです。ただ、そこに『情熱』が伴わないと、できないのです。『情熱』がないのに、やれというのですか?ということなのです。

さてと、今日のポイントは、何と、こんな頑固でコンサバな自分を褒めてあげたい、ということです。

いままでのクラス探し、自分探し、自分の居場所さがし。情熱をつなげる方法探し。ちゃんと、しっくりこないものは、すっぱり止めてて、偉いね。希望を捨ててないねってことなのです。

自分がこだわってきた、自分の『わくわく・どきどき』みたいな演劇に対する『情熱』と、『役者という職業としての成功』が重なる瞬間が、奇跡的に感じれば感じられるほど、その奇跡は起こるべきものなのです。

というのも、奇跡は、やっぱり奇跡的にしか、おこりません。

奇跡が起こる余裕が出来る様に、僕の場合「未開拓な新しい場所に身を投じる」ことに慣れるのが大切だということです。

そして、見えない大きな何かを信じる力を養うのが大切だということです。

ジョブズの言うとおり、のちにドット(点と点)がつながると信じて、勇気を出して自分の直感にそって生きるのが大切であるのです。

 

繰り返すが、僕に大切なのは、「未開拓な新しい場所に身を投じる」こと。

と、昔、勉強もスポーツもよくできるS君というクラスメイトがいて、塾の先生は、僕の母にこう言ったのを、最近思い出します。

「ときおくんは、スタートが遅いのよね。S君がもう走り出してるときに、ときお君はまだスタート地点で靴のひもを締めてる。」

そして、さらには、小学校の通知表に、僕の”これ”について2人の先生が違う風に書いていたのを思い出す。

図工の先生:考え過ぎ

国語の先生:のろい

 

つまり、考えすぎるのでのろいのだ。むかしっから変わってないのだ(ってそういう星回りにいるので仕方がないが)!

100パーセントじゃなくてもいい。不安でもいい。

ただ飛び込む。

また飛び込む。

で、飛び込む。

飛び込む!

これが奇跡が近づく鍵なのだ。

週に何回飛び込めるか、自分にチャレンジだ!

 

というわけで、ニューヨークにいても、ロサンゼルスにいても、「モトキ君って知ってる?」と聞かれる、ニューヨークからロスに渡り、日本に帰ってしまわれた小林モトキさんというお方のブログをよんで、元気をもらった今宵なのでした。

“I WANT TO LIVE” by John Denver

I HAVE TO share this once in a great while.

Without this song I did not survive my toughest time.

+
 John Denver - "I Want To Live"
There are children raised in sorrow
 on a scorched and barren plain
 there are children raised beneath the golden sun
 There are children of the water,
 children of the sand
 and they cry out through the universe
 their voices raised as one
I want to live, I want to grow
 I want to see, I want to know
 I want to share what I can give
 I want to be, I want to live
Have you gazed out on the ocean
 seen the breaching of a whale?
 Have you watched the dolphins frolic in the foam?
 Have you heard the song the humpback hears
 five hundred miles away
 Telling tales of ancient history
 of passages and home
I want to live, I want to grow
 I want to see, I want to know
 I want to share what I can give
 I want to be, I want to live
For the worker and warrior, the lover and the liar
 For the native and the wanderer in kind
 For the maker and the user and the mother and her son
We are standing all together
 face to face and arm in arm
 We are standing on the treshold of a dream
 No more hunger, no more killing
 no more wasting like a way
 It is simply an idea
 and I know its time has come
I want to live, I want to grow
 I want to see, I want to know
 I want to share what I can give
 I want to be,
 I want to live, I want to grow
 I want to see, I want to know
 I want to share what I can give
 I want to be, I want to live
 I want to live, I want to grow
 I want to see, I want to know
 I want to share what I can give
 I want to be, I want to live
 I want to live, I want to live

笑顔の過大評価

僕の昔からの問題:笑顔になるのに抵抗がある。

最近のオーディション、キャスティングで本当にほぼ毎回ポジティプな感じのビッグスマイルを求められるのだが、僕は意味もなく咄嗟に笑顔になるのに昔から抵抗があり、こういったキャスティングには通ったためしがない。ってこんなこといったらネガティブな波長を送っている様な感じになってしまっているかもしれないが、正直な気持ちである。コマーシャルオーディション用対策ワークショップ等では多分この咄嗟の意味もないスマイルを習得するのだろうが、そんなことを考えるだけで頭が痛くなる。そんなものうまくなりたいとさえ思わない。

が、やはり生きてゆくには、妥協は必要だってことで、明後日のキャスティングでは全力で笑おうと思う。ワークショップもそのうち取ろうとは思っている。コマーシャルの仕事は本当に金になるからね。

デニーロやショーンペンのようにずっとむっつりしていられる様な身分に早くなりたいものだ。

年の功なのだろうか、最近、『読書』という概念がわくわくでたまらない。高校大学ではこんな風には決して思わなかった。

今回演技のクラスを取り始めたアクターズスクール/シアターplayhouse westでは、生徒が読むべき本のリストが与えられて、もうその長いリストにドキドキである。

で、『一番始めに読むべき』、そして『これから貴方が読む本で一番大切な』本として、

The 7 Habits of Highly Effective People

があげられており、その本の分厚さに、「やった!」と思いながら、読み始めてみると、う〜むどこかでよんだような。。と思ったら、やっぱり僕はこの本の日本語訳『7つの習慣』を、10年くらい前に既に読んでいた!!!ちゃんとそのエクササイズもやった。ただ、10年前とは読んでいても全然感じ方が違って(英語と日本語訳の違いもあるのだろうが)、一つ一つのポイントに比べ物にならないくらいの重みを感じる。習慣2で、これからの自分の人生の<何があっても消して揺らぐ事のない>掟(=Personal Mission Statement)を考えて作るのだが、これも、10年前に書き出したものをなんとな〜く覚えていて、今回はさらに研ぎすまされた掟をつくれそうだ。(*もちろんこの掟を自分の人生に合わせ常に少しずつ調整していくのも習慣の一つである。)とにかく2度もこの本に出会ったということでまたまた運命を感じる私なのでした。薦めておきます。特に英語バージョンを。

*おまけ*

アクターズスタジオ、ゲスト:ロバートデニーロ

デニーロの最も好きな言葉:”REFINEMENT” !!!!!

最も嫌いな言葉:”BOORISH” 誰が想像しただろうか?!

アップデート

さて、早速ですが、希望高らかに7月から始めたばかりの演技のクラス(Ivana Chubbuck Studio)を、止めました

先生に不満足だったわけではありません。

ハリウッド名門のひとつといわれるこの学校では、『初級クラス』で先生に認められて『上級クラス』に上がり、さらにそのクラスで認められて初めてイヴァナさんが教える『マスタークラス』へ参加できるシステムで、

僕がもともと、イヴァナさんご自身に、『初級』クラスに回された時に(はじめから『上級クラス』に回される人もいる)、一番恐れていた事が1ヶ月目にして起こってしまったのです。

その恐れというのが、『初級』クラスであるので、真面目でない生徒が集まっているのではないか、というもので、シーンパートナー3人目にして、全く真面目でない人に当たってしまい、貴重な一週間がムダになってしまったのです(まあ人生経験ににムダなんてないんだけどね)。自分の責任でないのにクラスの課題に打ち込めないというのは、本当に時間と金のムダなのです。ちょっと我慢して頑張ってみようかなともおもったものの、人生短いし、このままでは、『マスタークラス』へいけるまでに何十年かかるんじゃという思考が巡り、いろいろ考慮した上で、止めました。(もっと僕の文句を聞きたい方はこちらへ。懲りずにこの学校のレビューを書いたよ。でも英語。)

でも、前の学校と違って、1ヶ月ごとに授業料をはらうので、毎月自分がちゃんとクラスに満足しているかを考慮して、止めたいときはいつでも止めれ、戻りたいときは戻って来れるという方針はなかなかよろしい。ロスでは、本当に「石を投げればあたる」と言われるほど沢山役者向け演技のクラスがあり、これからもベストフィットな先生/学校探しの旅は続きそうです。多分こういうのも役者活動の一環なんだ。

で、今、目を付けているのは、

Tim Phillips Studio

か、

Margie Haber Studio

か、

Steve Eastin Studio 

で、どれも『演技の』学校というよりは、オーディション対策用の学校です。

Margie Haber Studioに関して言えば、僕がロスに来て始めにチェックした学校の一つで、システムはIvana Chubbuck Studioに似ているのだが(『初級』、『中級』、そしてマージーさん教える『マスタークラス』がある)、ここの先生はオリエンテーションに行ったときに、僕のレジメをちゃんと読んで(今考えるとやっぱりイヴァナさんがちゃんと僕のレジメを読んでいたかは謎)、『中級クラス』に回してくれた。つまり、ここでクラスをとるとしたら、『中級』からスタートできるのだが、なんと次空いているクラスが始まるのは9月下旬ということ。その頃はまた東海岸旅行を考えているので非常にタイミングが悪い。

あと、懲りずにまだ発音矯正の為のスピーチのクラスも探しています。。

今日問い合わせをしたのが

Claudette Roche (高そう、、)

Elocution Solution

と、この前の撮影がほぼ終わって(実は火曜にやる予定だった最後のシーンがプロデューサーの都合でキャンセルになったのでまだそのシーンの撮影は残っている)、いきなり時間が出来たので、こういったリサーチに時間を割いています。。

それから、昨日は、なんと、ハリウッドで活躍を続けるYUKI MATSUZAKIさんが出演している劇『BRIDGE』を観に行きましたなにせ、YUKIさんと言えば、僕がニューヨークにいたときからずっとブログを読んで勇気をもらっていたあこがれの方なので、もう本人の生の演技をみれたというのは感動でした!!

東日本大震災への募金を募る事が出来る、という事が条件でYUKIさんはこの劇に出ると決めたという事の様で、劇場には募金用ボックスが。そして舞台が終わるとすぐに入り口まで(多分)駆け足でむかいお客さんに募金を募るYUKIさん。すごすぎます!で照れ屋の私は「Good Job!」としかいえなかったさ。(もちろん募金はさせていただきました。)

とても難しい、感情的にもディマンディングな役どころ(今回の津波で家族どころか故郷全てをなくした渡米中の日本人青年の役)で、あれだけの集中力を毎公演キープしてると思うと、自分も頑張らなきゃ、と思う私でした。

で、勢い余って一番前に座ったのですが、隣に座っていたフレンドリーなご夫婦といろいろ話をし、旦那さんの方が、この劇を行っているグループのメンバー(ジャックシールという役者さん)ということで「役者ならばここのグループに参加したら良いじゃないの?良いグループよ。」といってくれた。ふむ。。このグループというのが、Write Act Repertoryで、今度9月の始めにメンバーになりたいアクター向けのオーディションが行われるらしい。ひえええどうしよう!〜自信もって出来るモノローグないし。でもシアター関係の温かいグループ活動が恋しい気もする。。

ということで、オーディションうけるかは少し考えます。とにかくいろんな意味で、行ってよかった。

YUKIさんまたまたインスピレーションをありがとう!

“BRIDGE” 舞台

映画撮影に向けての打ち合わせ@west hollywood

この前キャストされた、訳ありコントロバーシャルな映画の撮影が、もともと月曜からの予定だったのが、木曜からになりました。

おととい監督と打ち合わせがあり、僕はてっきりショートフィルムだと思っていたのだが、どうも3つのストーリーをつなげて一つの作品にするということなので、結局は『長編』映画の『主役』ということでレジメにかけそうなのは非常にうれしい。

ただ、予算がもちろん限られていて、なんとカメラマンを別に雇う金がなくディレクター自身がカメラも回すということで、その辺りは微妙だ。そして、僕の出演料も、撮影が朝から晩まで行われる7日間のうちの5日だけギャラがもらえる、ということで承知いたしました。でもなぜかその割には、この映画の撮影の為に、なんとウェストハリウッドのど真ん中に位置した2ベッドルームのアパートを借りていて(そこで打ち合わせが行われた)、ほんとに金がないのかい?と疑問を持ったのも事実です。

打ち合わせでは、映画以外のことまでいろいろなことをはなして、このソマリア出身の監督AJとお近づきになれた。彼が映画をつくるおもなモチベーションというのが、『人々の固定観念(=stereotype)を崩す』、ということで、だからこそ、彼の映画のテーマは、いつも『人種』『同性愛』が軸になっている。故に、僕のキャラクターは、日本人であるにもかかわらず、役者を目指していたり(VS{アジア人=マフィア、医者、弁護士、etc..}という固定観念)、物語の中で出会い、のちに恋に落ちるラティーノは僕のキャラクターよりも背が低いという設定だったり(VS{アジア人は背が低い}という固定観念)するのであろう。ただ、最も重要なのは、こういったことを「あたりまえ」という視線で撮るのが彼のスタイルだ。故に、彼は、彼の映画が「人種」「ゲイ」というカテゴリーに入れられることさえ嫌うのだ。つまり彼は今の世界で起こっている当たり前の現実を忠実に世の中につたえようとしているのだ。(ぶっちゃけ、役者を目指す、同性愛者の、日本人についての映画を作るアメリカ内のフィルムメーカーは、彼ぐらいでは。。それだけでかなりコントロバーシャルだ。)

さすがイスラム教の何十カ国をまわり何百人とのインタビューを元にイスラム教国の同性愛者状況を標した本を出版している方だけある。彼が今同時に取り組んでいる、他のとても興味深いプロジェクト、これから撮りたいと思っている映画等についても話してくれた。(驚いたものの一つには、彼は森鴎外の「雁」を元にした映画を、シチュエーションを変えて、でも全日本人キャストで作りたい、ということだった。)

ある意味ベタなサムライ/忍者映画でチャンバラごっこする(=ハリウッド映画)より全然文化/人権/ベターワールドに貢献している感じがするのは私だけだろうか。ちょっとぐらい映画の質が落ちるくらいどうだっていい。がんばるぞい!

墓地にて

今日は、とある本のススメで墓地にいったよ。ロス中にあるいくつかの中から適当に選んでいってみたら、なんと!!!!

そのどでかい敷地内の殆どの墓に日本人の名が刻まれているではないか!!びっくり。

この墓地は、エバーグリーンメモリアルパーク。墓管理事務所で聞いてみたら、以前はそのエリアは日本人コミュニティだったんだって。(今はメキシコの街角にしか見えん。でもよく考えてみるとリトル東京には遠くはない。)で、第二次世界大戦で亡くなった沢山の日系人が埋められているそうだ。

偶然とはおもえんね。祈ったよ。

とても感慨深いビジットでした。いってよかった。先日のごたごたなど、ちょっとどうでもよくなった。

で、帰り際によったリトル東京のチープなジャパニーズタコス屋で、しけたランチスペシャルをしけたテラスで食べ終えようとしていたら、日本人夫婦がおどおどとやって来て、妻の方が「ここでは何がおいしいの?」と。

店の人が店の中から見守っていたので、「なにも美味しくないと思いますよ。」とはいえず、

「いや、ここくるの初めてなんです。」というと、

「私たちも、ここが初めてどころか、海外はじめてなのよ。で本当にお腹空いちゃって。」

「あちらの方にいろいろレストランありますよ、、」と言いかけるも、やっぱり言い直し。「いや、なんか申し訳ないので、ここ試してあげてくださいよ。」と。

もう何がなんだかよくわからん。人生ってむずかしいっす。

april 9th at HB studio

the night i would remember for a long time even though i wasn’t there. I studied at HB studio for a long time. (like 8 years in total)

NYから被災地へとどけ、希望 俳優養成学校で集会

2011年4月10日19時50分

写真:「希望」を合言葉に歌う女性参加者=ニューヨーク、田中写す拡大「希望」を合言葉に歌う女性参加者=ニューヨーク、田中写す

東日本大震災の被災地のために、「希望」をキーワードに好きな歌や詩の朗読をする集会が9日夜、ニューヨークの俳優養成学校であった。

生徒たちだけでなく、パフォーマンスをしたい人なら誰でも参加できる形式。ショービジネスの本場ならではの、歌あり踊りありの一夜になった。

集会があった「HBスタジオ」は、ロバート・デニーロさんやサラ・ジェシカ・パーカーさんも学んだ名門だ。米国外からも多くの生徒を迎え入れ、日本人も15人が学ぶ。校長らが「地域と一体となって支援できれば」と発案し、約30組が参加した。

地元の人たちがブロードウェーの曲を歌えば、日本人生徒たちが宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を朗読した。

ハリウッドを目指している本田真穂さん(26)は、「地震で無力感を抱いていたが、米国の人たちと一緒に手をつなぐことができてうれしい」と話した。(ニューヨーク=田中光)

Open Mic Night for Japan: Please Join us!
HB will host an Open Mic fundraising eventSaturday, April 9 @ 7:30pm
First Floor Studio, 120 Bank Street

Proceeds will help support the relief effort in Japan through
Global Giving’s Japan Earthquake and Tsunami Relief Fund

All are invited to take part
Present a poem, reading, song, or other performance
5 minutes maximum, the theme is “hope”

Sign up sheets are in the 3rd Floor Office

Please sign up to participate by Friday, April 3!

Or come out to support your colleagues, friends,
and the people of Japan

Reception to follow; refreshments will be served

Suggested donation $5 to $50 — pay what you can
No one will be turned away

*****

PRAY FOR JAPAN

既に、こちらのニュースで何度か、

日本はこんな自体であるにもかかわらず、スーパーにならぶ列で、押したりけんかしたり、盗んだりする人もみあたらず、落ち着いている。

そんな日本人は全く本当に尊敬に値する。(もしくは、)この国民は一体どうなっているんだ?

という、キャスターのコメントを耳にした。

僕としてとても嬉しいのは言うまでもない。

今、日本人であることを心から誇りに思う。

であるからして、なおさら悲しいのだ。

寡黙で、働き者で、礼儀正しい、いい人間(good peopleと言った方がしっくりくる)が沢山死んでいる。

問題発言かもだが、そう昔ではない大地震に見舞われたハイチの国民の大人の多くは、とりあえず盗みばかりをする様な、政府さえ、世界から来た援助金を困っている人に回さない様な、国全体が歪んでいるという様なことを聞いた。それが本当かどうかは別としても、僕は、日本人がどれだけ素晴らしいか、働き者か、賢いかを知っている。ゆえに被害に遭っている人のことを考えると胸が苦しくなる。まさに言葉がない。

ぶっちゃけ募金をできる金もそんなにない僕にできることは、見守ること、祈ること、自分の身近で愛する人たちを大切にすること、ボランティアで援助、募金を募る活動に参加するくらいかとおもっていたが、もうひとつ。それは自分と向き合い正直に生きることだ。こんな状況でなにを信じればいいのかも定かではない今、とくに若い人たちにはそれしかないのではないか。

くそまじめで一途でありたい、

こちらの校長先生のメッセージを読んで今だからこそまさにそう思う。

全国の卒業生のみんなおめでとう!

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)

2011.03.17

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

「今日ひとりで海を見てきたよ。」

そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32
一言付言する。

歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

立教新座中学・高等学校
校長 渡辺憲司